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最高裁判所第二小法廷 昭和53年(オ)1470号 判決

上告人

三甲株式会社

右代表者

後藤甲子男

右訴訟代理人

東浦菊夫

古田友三

被上告人

小川艶惠

被上告人

小川博

右両名訴訟代理人

谷野祐一

主文

原判決中、被上告人小川博に関する部分並びに同小川艶惠の請求のうち慰藉料及び屋根瓦しつくい丸塗り工事費用に関する部分を破棄し、右部分につき本件を大阪高等裁判所に差し戻す。

上告人の被上告人小川艶惠に対するその余の上告を棄却する。

前項に関する上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人東浦菊夫、同古田友三の上告理由中民法七一七条に基づく損害賠償請求に関する部分について

一原審は、(1) 本件甲地(第一審判決添付第一目録記載(一)の土地をいう。)は、都市計画法上の住居地域に属し、その東側に隣接する本件乙地(同第二目録記載(一)の土地をいう。)は、同法上の住居地域及び商業地域にまたがつて存在している、(2) 本件マンション(同第二目録記載(二)の建物をいう。)建築前の本件甲地周辺の状況は、同地上に本件(二)及び(三)の建物(同第一目録記載(二)及び(三)の建物をいう。)があり、東側は本件乙地がバスの駐車場として使用され、その一部に平家建のガレージが建てられていたほかは空地であり、北側と南側には平家又は二階建の建物があつて、その二階部分からはいずれも約一〇メートル離れており、西側には幅員六メートルの市道を隔てて平家又は二階建の建物が並んでいて、周辺に三階建以上の建物はなかつた、(3) 本件マンションは、上告人が、昭和四五年三月にその計画が法律、命令及び条例の規定に適合する旨のいわゆる建築確認を受け、その頃本件乙地上に着工して昭和四六年二月末に完成した鉄筋コンクリー卜造七階建店舗兼共同住宅であり、その西側部分は、高さが最高28.73メートル、最低約二四メートル、幅が約10.3メートルで、西側外壁面は、本件甲地及び乙地の境界線から約五〇センチメートル東寄りで、かつ、本件(二)の建物の東側外壁面から1.3ないし1.8メートル隔たつている、(4) 本件(二)及び(三)の建物は、木造瓦葺平家建居宅で、被上告人小川艶惠(以下「被上告人艶惠」という。)の亡夫小川満美(以下「亡満美」という。)が昭和一五年に借り受けて以来、家族とともに生活の本拠として使用し、昭和二三年二月にその敷地である本件甲地とともに買い受けたもので、いずれも南北に長い形で建てられ、その採光、通風は専ら東側開口部から得る構造となつており、本件(二)の建物の高さは、屋根の高い部分で約五メートル、軒先部分で約三メートルである、(5) 本件マンションが本件(二)の建物に近接し、これに平行して本件乙地上に建築されたため、本件甲地上の本件(二)及び(三)の建物は、風が本件マンションにその進路をさえぎられて、あたかも流水中に障害物を入れた場合に見られるように、その周辺の流れを加速し、かつ、乱して起こるいわゆるビル風に吹きつけられ、特に冬季における強風の際にはその影響が著しく、屋根瓦が吹き飛ばされるおそれがあつた、(6) 被上告人艶惠は、昭和四九年八月一〇日、ビル風により屋根瓦が飛ばされるのを防止するため、屋根瓦しつくい丸塗り工事(以下「屋根瓦工事」という。)を施して、二五万二〇六〇円を支出した、以上の事実を確定したうえ、既存の木造家屋に隣接して高層ビルを建てる場合には、そのビルの周辺に吹き荒れるいわゆるビル風が起こることは十分に予測されるところであるから、かかるビルを建築しようとする者は、ビル風によつて生ずる損害の発生を未然に防止すべくその設計等につき適切な考慮を払うべきであるのに、上告人は、七階建の本件マンション程度のビルではビル風が発生しないものと軽信し、ビル風によつて生ずる損害を未然に防止すべき適切な考慮を全く払わず、漫然と本件マンションを建築したため、本件(二)及び(三)の建物に対し前記(5)のとおりのビル風による影響を与えたのであるから、上告人は、民法七一七条により、右各建物の屋根瓦が吹き飛ばされるのを防止する目的で屋根瓦工事を施したことにより被上告人艶惠に生じた損害を賠償する義務があるとし、屋根瓦工事により耐用年数を増伸することが考えられること、本件マンション完成後屋根瓦工事施行までの間に、特に取りたてた被害事実の主張立証のないことに鑑み、右工事費用の三分の一にあたる八万四〇二〇円をもつてビル風による損害と認めた。

二ところで、民法七一七条の定める土地の工作物の占有者等の損害賠償責任を認めるためには、工作物に損害の発生と相当因果関係のある設置又は保存の瑕疵がなければならないことはいうまでもない。そして、被害がいまだ現実に発生していないにもかかわらず、将来被害を生ずるおそれがあるとしてその予防のための工事を施したとしても、右の工事を施さざるをえない特段の事情のない限り、その工事のために費用を出捐したことをもつて損害が発生したということはできないものと解するのが相当である。これを本件についてみるに、原審は、前記のとおり、昭和四六年二月末に本件マンションが完成したのち昭和四九年八月一〇日に屋根瓦工事を施すまでの約三年半の間、特に取りたてたビル風による被害事実の主張立証はないとしながら、屋根瓦が吹き飛ばされるおそれがあつたため、それを防止する目的で施した右工事のために出捐を余儀なくされた費用を損害と認めているのであるが、屋根瓦が吹き飛ばされるおそれがあつたとは、どのような状態(例えば、単なる抽象的なおそれにすぎないのか、ビル風のためすでに屋根瓦がゆるんだりずれたりしており、ただ飛ばされないという状態にあるのか等)をいうのか明らかにしていないし、将来生ずるおそれのある被害を予防するための工事を施したものであるとしても、それを施さざるをえない特段の事情があつたかどうかに関し、何ら説示しておらず、原判決の説示からは、本件マンションの建築によつて生ずるとされるビル風が、本件(二)及び(三)の建物の屋根瓦にどのような態様、程度の被害を及ぼすのか、明らかであるとはいいがたい。更に、マンションの建築によつてビル風が発生したとしても、それによつて他人に一般社会生活上受忍すべき程度を超えるような被害を及ぼさない限り、当該マンションの設置又は保存に瑕疵があるとはいえないと解すべきところ、この点に関し、原審は、ビルの周辺にビル風が起こることは十分予測されるところであるから、それによつて生ずる損害の発生を未然に防止すべく、その設計等につき適切な考慮を払うべきである旨説示しているが、前記のとおり、本件においてどのような被害が発生したのか明らかにされていないことに加えて、本件マンション建築当時から被上告人が前述の屋根瓦工事を施すまでの間において、ビル風の存在自体については一般に漠然と知られていたとしても、建物の高度・形態等の諸条件との関連において、いかなる場合にどの程度のビル風が発生し、周辺にいかなる被害を及ぼすのかという点についてどのような知見があつたのか、ビル風の発生を防止ないし低減する方法があつたのかなどの点については何ら説示していないので、結局、原判決の説示によつては、本件マンションに損害の発生と相当因果関係のあるどのような設置又は保存の瑕疵があつたのかという点についても、明らかにされているとはいいがたい。

原審は、ビル風による被害に対する損害賠償責任を認めるためには必要不可欠の前記事項について十分な審理、判断をしないで、屋根瓦工事費用のうち八万四〇二〇円について上告人の損害賠償責任を認めているのであつて、原判決には、この点において審理不尽、理由不備の違法があるといわなければならない。論旨は、原判決中右認容部分の違法をいう限度において理由があるが、その余の部分は理由がない。

同上告理由中その余の部分について

一原審は、前記の事実に加えて、(1) 本件甲地並びに本件(二)及び(三)の建物は、その東側に本件マンションが建築されたのち、夏冬を通じて日の出とともに屋内に射し込んでいた日照を全くさえぎられ、同様に通風も妨げられる一方、前示のようなビル風を生じ、ことに冬季強風の際にはビル風が強く吹きつけるようになり、また、ビル風及び本件マンションの壁による西日の反射等の影響で、冬季には寒冷、夏季には暑熱が著しいものとなつた、(2) 亡満美は、昭和一五年以来、本件(二)及び(三)の建物で快適な生活を営んで来たが、自宅の軒先にその八倍以上の高さでそそり立つ本件マンションの崖下で暮らす不快さと、前記(1)のような不健康さとを強く感じさせられ、昭和四七年七月一七日死亡するまでの間精神的、肉体的に苦しんだなど原判示のような事実を認定したうえ、亡満美が被つた精神的、肉体的苦痛は、相隣者として社会通念上受忍すべき程度を著しく超えたものと認められ、上告人代表者は、かかる結果を十分予知できたのに、それが改善策について何らの措置もとらなかつたのであるから、上告人は、民法四四条による不法行為上の責任として、亡満美が被つた精神的、肉体的苦痛に対する慰藉料四〇万円をその相続人である被上告人らに二分の一宛支払う義務がある旨判示した。

二しかしながら、民法四四条により法人の責任を認めるためには、法人の理事等に故意又は過失がなければならないところ、原審は、前記のとおり、建物の高度・形態等の諸条件との関連において、いかなる場合にどの程度のビル風が発生し、周辺にいかなる被害を及ぼすのかという点についてどのような知見があつたのか、ビル風の発生を防止ないしは低減する方法があつたのかなどの点については何ら説示していないので、本件マンション建築当時から亡満美の死亡までの間、ビル風の発生の防止ないし低減等について、上告人代表者にいかなる注意義務違反があつたのかという点について、具体的に認定判断しているものとはいいがたい。そして、原審の認定、説示するところによれば、原審は本件マンションによる日照及び通風の阻害等とともにビル風の影響を慰藉料算定の重要な要素としているものと解されるので、ビル風の影響を斟酌するか否かによつて、原判決の慰藉料額の算定に影響を及ぼすことが明らかであるというべきである。したがつて、被上告人両名の慰藉料請求のうち各二〇万円について上告人の損害賠償責任を認めた原判決には、審理不尽、理由不備の違法があるものといわなければならず、原判決中右認容部分の違法をいう論旨は理由がある。

そうすると、原判決中、被上告人小川博に関する部分並びに同艶惠の請求のうち慰藉料及び屋根瓦工事費用に関する部分は破棄を免れず、更に審理を尽くさせる必要があるからこれを原裁判所に差し戻すのが相当であり、その余の上告人敗訴部分については、上告を棄却すべきである。

よつて、民訴法四〇七条一項、三九六条、三八四条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(木下忠良 鹽野宜慶 大橋進 牧圭次 島谷六郎)

上告代理人東浦菊夫、同古田友三の上告理由

一、ビル風について

原判決は

「ビル風に関する部分は通常人の知識によつて容易に推定し得るべきもの」「控訴人においても、右のような点については充分察知し得た筈であるのに」「ビル風が起ることは充分予測される」「かかるビルの建築にあたつては、ビル風によつて生ずる損害の発生を未然に防止すべくその設計等につき適切な考慮を払うべきである」

等と認定している。

二、然し、本件ビルは昭和四六年二月末に完成されたもので、甲第一一号証の昭和四七年一一月三〇日付朝日新聞によると風害なるものはいまだ調査の段階であつて昭和四六年二月末頃はいまだ風害なるものは考えられず、知らない者に対してビル建築にあたりこれが考慮を払うべきだとする原判決は注意義務の法的解釈を誤つたもので、破棄されるべきものである。

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